2005年12月27日

鬼が……

「矢島君、ちょっと実験に協力してもらいたいのだが」
「はい、なんでしょうか」
 矢島宏子は高槻超常現象研究所に勤務する助手である。学生時代は生体工学関連で博士号を取得したのだが、博士に仕事が無いのが今の日本。ポスドクとして3年間出身研究室に世話になっていたがその任期も切れ、30にもなってフリーター生活かと途方に暮れていたところ、どうにか高槻に拾ってもらったのだった。
 高槻は超常現象の研究家という少し怪しい人物ではあったが、背に腹は替えられない。宏子は高槻の研究を手伝いつつも、何とか予算を分けてもらって、細々と自分の研究を続けていた。

「とりあえずコレに着替えてくれ」
 高槻から渡されたのは虎柄のビキニの水着である。
「エロジジイ」
 宏子は高槻を冷たい目線で突き刺す。
「あのなあ、これは実験のためにはどうしても必要なことなんだよ」
「本当ですか?」
 宏子は高槻のことを、倫理的には信用していないが、学者としては信用している。実験と言っている以上何らかの意味はあるのだろう。不信感はぬぐえないが、宏子は着替えるためにロッカールームへと向かった。



「お待たせしました」
 ビキニに着替えて宏子が実験室に入ってきた。
「水着のサイズぴったりですけど、何で知ってるんですか?」
「菊池さんが教えてくれたよ」
 菊池さんとは研究所の秘書の菊池加奈のことである。宏子よりも年齢は一つ上で、まるで姉妹のようにお互いのシングルライフを慰めあってきた仲だ。
「裏切られた……。信じてたのに……」
「ぶちぶち言ってないで、そこに座って」
 高槻はなにやら注射の準備をしている。
「え、人体実験ですか? 何ですか、その薬品」
「これ自体は大したものじゃないよ。ほら、腕を出して」
 高槻はしぶしぶ差し出された宏子の左腕をさっとアルコールで消毒すると、慣れた手つきで静脈に注射針を刺入し、ゆっくりと薬液を注入していく。そして刺入したときと同様にすっと針を抜くと、ガーゼで刺入跡を押さえた。
「これで腕を押さえておいてね。5分くらいで効果が現れるはずだから、それまで座ってじっとしていて」
 腕を押さえながらも、宏子は嫌な予感が消えない。
「今の、何の注射なんですか?」
「今君に注射したのは『鬼素』というものだ」
 注射器をトレイに戻しながら高槻は答えた。
「キソ?」
「鬼の素と書いて『鬼素』。『鬼素』は人間を鬼に変える力があるんだ」
「鬼? ちょっと待ってくださいよ! 何なんですか、それは?」
「『鬼素』を注射すると鬼になるんだよ。症状としては、筋肉の増強、体色の変化、角の生成、食欲増進、などなど。肉体的にはむしろ健康とも言えるぞ」
「無茶言わないでください! 何ですかそれ! 何が『大したものじゃない』ですか! そういうことは事前にちゃんと説明してくださいよ。倫理規定に違反しています」
 しかし宏子の剣幕に対して、高槻は動揺したそぶりも見せない。
「安心したまえ。ちゃんと元に戻るから」
「……本当でしょうね?」
「それは大丈夫。もう菊池さんで実験済みだから」
「菊池さん?」
「ああ、先月菊池さんを鬼にして、ちゃんと元に戻ったのを確認したから」
「まさか、菊池さんが先月長々と休暇を取っていたのは……」
「ああ、旅行という名目だったけど、実際は研究室に引きこもっていたんだよ。鬼の姿を人に見られたくないからって」
「あ、私はてっきり男ができたものかと。良かった……。って、次は私の番じゃないですか!」
「だから元に戻るから、大丈夫だよ」
「本当ですか? まったく……、あ、イタタタタ」
 不意に、宏子の全身に痛みが走る。
「始まったな」
 すぅっと血の気が引いていく感じがよくわかる。宏子は両腕で自分自身を抱きしめた。そして椅子に深く腰掛け、ゆっくりと深呼吸をした。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
 今はただ眼を閉じ、とにかくこの状態をやり過ごすしか術は無い。
 高槻が宏子に毛布をかけてくれ、少しだけ楽になった。高槻のことは恨むべきなのだろうが、今はこの親切もありがたい。こういった配慮を別のところにも向けてくれれば助かるのだが。

 時間にして10分ほど。宏子にとってはもっと長いようにも感じられたが、どうにか気分も落ち着いてきた。全身のだるさはまだ残っている。
「……」
 宏子は自らの両手を見る。それはもう血の気が失せたというよりも、まるでポスターカラーでも塗ったかのように、積極的に青くなっていた。
「気持ち悪い」
 まだ少し頭がぼんやりとしているが、自分の体が異常であるということはよく分かった。
「自分の身体なんだから、そんなこと言うなよ」
 高槻はあくまでものんきに言った。
「結構似合ってるぞ、ホラ」
 高槻は宏子の目の前に鏡をかざした。
 そこには、全身真っ青な鬼と化した、宏子の姿が映っていた。



oni4.jpg



「イヤー!」
 姿かたちは思ったほど変わってはいなかったが、とにかく体色が青いのだ。こんな毒々しい色、哺乳類のものではない。
「こんな身体じゃお嫁にいけなくなっちゃう……」
「30過ぎの(自主規制)な女なんて、どうせ結婚できないよ」
 その高槻の無神経な言葉に、宏子の堪忍袋は音を立ててちぎれとんだ。宏子は文字通り鬼の形相で高槻に迫ると、その右腕を取って軽々とひねりあげた。鬼の力は女性であっても人間のそれを凌駕していた。
「痛い、痛いよ。ちょっと矢島君……」
「もう実験は済んだでしょう! 早く元に戻してください」
「いや、実験はまだこれからだよ。まだ続きがあるから、ちょっとはなして……」
「まだ何かあるんですか?」
「イタタタタ……。人を鬼にするのはもう完成した技術だから。ここからが本番なんだよ」
「……」
 宏子は無造作に高槻を放り投げた。一応元の姿に戻してもらわなくてはいけないわけだし、なにより宏子も科学者として、高槻の言った実験の本番というものに興味をひかれたのだ。
「で、これからどうするんですか?」



 高槻はあわてず騒がず、乱れた服装を整えた。そして咳払いを一つして、おもむろに切り出してきた。
「矢島君。昨日、私は夕飯にラーメンを食べたんだよ」
「?」
 宏子は突然の話に戸惑っている。何故いきなりラーメンが出てくるのか。
「今晩はとんかつ定食にしようと思っている」
「はあ」
「明日は刺身なんかいいねぇ」
 要領を得ない食事の話が続く。それらは鬼の生態と何か関係があったりするのだろうか。
「……あの、それがなにか?」
「大晦日には年越しそばを食べるだろうね」
「そうでしょうね」
「正月には雑煮を食べたいね」
「ええ……、ぷ、あははははははは……」
 突然、宏子は笑いがこらえられなくなり、笑い出してしまった。



oni3.jpg



「何がおかしいのかね?」
「いえ……、あはははははははは……、その……」
「そうだ、一月になったらスキーに行こう」
「あははははは、ちょっと、はははは、先生……」
「来年はトリノでオリンピックも開催されるね」
「ははははは、やめて……、はははは……、ください……」
「5年後には私も還暦を迎えるわけだが……」
「ははは……、はぁ、はぁ。……やっと止まった……」
 高槻は宏子の様子を見て、満足そうにうなずいた。
「何なんですか、一体」
「実験は成功だよ」
「何がですか?」
「やはり『来年のことを言うと鬼が笑う』というのは本当だったんだ」
「は、はい?」
 笑いすぎで、まだ宏子の頭はうまく回っていなかった。この人は何を言っているんだ?
「だから、来年のことを言うと、鬼は本当に笑うんだよ。いやぁ、先人の知恵はすばらしいね。いやあ、この実験は菊池さんが人間に戻っちゃってから思いついたものでね、また彼女に頼むのも申し訳なかったしね」
 まだ少し引きつっている腹筋を押さえながら、宏子の血圧はゆっくりと上昇していった。



「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」
 ゆっくりと10まで数えて、宏子は無理やり状態を落ち着かせた。そして宏子は極力怒りを抑えながら、高槻に言った。
「実験の趣旨はわかりました。実験は成功ですね。次はなんですか、『鬼の霍乱』ですか? 『鬼のいぬまの洗濯』ですか?」
「ははは、面白いね、矢島君。でも、そんなの実験のしようがないじゃないか」
「じゃあ、『鬼に金棒』やってもいいですか?」
「……いや、それはまた今度にしよう」
「じゃあ早く元に戻してください」
 しかし高槻は困ったようにあごをさするのみだった。
「戻すといっても『鬼素』が自然に排出されるのを待つしかないからね」
「自然に排出? それってどれだけかかるんですか?」
「菊池さんのケースでおよそ一ヶ月くらいだったから、まあそのくらいだろう」
「えー! それじゃあ、お正月もこのまま……、ぷっ、はははははは……」
「ほう、自分の発言にも反応するのか……」
 高槻は実験ノートにメモを取る。
「ははははは……、あの、『鬼素』の排出を促すようなことはできないんですか?」
「一般論だけど、よく食べてよく運動して、新陳代謝が活発になればそれだけ早く体外に排泄されるはずだ」
 一度落ち着かせた血圧だが、高槻が発言するたびに徐々に上昇していく。宏子は怒りを感じながらも、頭の片隅で鬼の生理的な特性は人間とどう違うんだろうかということに興味を引かれている自分が、少しだけ嫌だった。
「……2、3日でなんとかなりませんか?」
「元に戻る薬の精製方法の見当はついているんだけど、生成に時間がかかるし、実験もまだだしねぇ」
「なんでそっちを早く作らないんですか!」
「だって、変身させるのは面白いけど、元に戻すのは別に面白くも無いじゃない。どうせ自然に元に戻っちゃうんだし」
「……すぐ取り掛かってください。今すぐ取り掛かってください。それで2、3日のうちに完成させてください」
「無茶言うなよ。材料の発注からやらなくちゃいけないし、早く見積もっても1ヶ月は優にかかるぞ」
「そんなぁ」
「はっはっは。運がよければ矢島君が鬼でいる間に節分ができるかも……」
 メシッ!
 高槻の軽口は骨のきしむ音で打ち消された。
 宏子は笑いをかみ殺しながら高槻の額をアイアンクローで掴むと、そのまま片手で頭上まで持ち上げた。
「あ、頭は……、商売道具だから……、慎重に……、扱ってくれよ……」
 宏子はざっと実験室内に目を走らせ、『鬼素』と書かれた巨大な瓶を発見した。その溶液はまだまだたっぷりとあるようだ。
 宏子はアイアンクローをしたまま、優しく慈愛に満ちた表情で、高槻に微笑んだ。
「そうだ、先生も鬼になって、一緒に来年の話でもりあがりましょうよ。そうすれば元に戻る薬も、早く完成するんじゃないですかね? そうそう、菊池さんも誘いましょうか」
 いったん高槻を床に下ろして、宏子は注射器の準備をする。高槻は痛みのあまり、頭を抱えたままうめくことしかできないようだ。
 宏子は学生時代から何度となく動物へ注射した経験はあるが、人への注射は初めてだ。医師免許を持っていないので本当はしてはいけないのだが、今回の人体実験でチャラにしてもらおう。宏子は高槻のシャツの袖をまくって腕を露出させ、静脈の位置を探り当てる。
「はい、ちょっとちくっとしますよ」
 いざ注射しようとしたとき、宏子は一瞬思いとどまって高槻に尋ねた。
「先生。虎のパンツ、用意してありますか?」


(おしまい)



ラベル:変身 妖怪 超科学
posted by 三月うなぎ at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 妖怪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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