2006年02月14日

甘い甘いチョコレート

 夜9時。俺が帰宅したときにドアの鍵はかかっておらず、しかも部屋は暗いままだった。
「千尋? いないのか?」
 奥に向かって声をかけてみるが返答はない。俺は靴を脱ぎながら、玄関の灯りを点ける。
 今日はいわゆるバレンタインデーというヤツで、千尋からいろいろと用意しておくから早く帰ってくるように言われていたのだが、仕事の都合やらで結局普段どおりの帰宅時間になってしまった。しかしまあ、そのことはあらかじめメールで伝えてあったので千尋も分かっていたはずだ。ちょっと外に出るにしても、せめて施錠はしておいて欲しかった。
 玄関からキッチンを抜けて部屋の灯りを点けようとスイッチに手を伸ばしたとき、薄暗闇の中、視界の隅に“それ”はいた。



 部屋の隅に鎮座する、その黒い塊。俺はともかく部屋の灯りを点けた。
 青と白のストライプのビニールシートが敷いてあり、その上に巨大な茶色い塊が乗っていた。よく見るとそれは、座り込んだ人間のような形をしている。そして、首にかけられたハート型のプレート。



chocolate.jpg



 えーと……。
 これ、多分バレンタインのチョコ、だよなぁ……。しかもやたらとでかいっていうか、等身大。どうやって作ったんだよ、こんなもん。
 近づいてまじまじと観察してみる。確かにチョコ、だと思う。あちらこちらがでこぼこしていたりして、人から型取りしたにしてはあまりキレイなフォルムではない。でも、いわゆる体育すわりをしているのは間違いない。
 こんこんと、ノックするように頭を叩いてみる。その表面はしかし、チョコレートとは思えないほど硬い。つめでひっかいてもみたけど全然削れない。これ、本当にチョコか?
 さらによく見てみると,鼻に相当するところにちゃんと穴が開いている。おそるおそる覗き込んでみると、鼻の中にびっしり(というほどでもないけど)と鼻毛が生えているのが見えた。
 え? 人?
 鼻の穴に指先を近づけてみると、空気が動いているのが確認できた。
 スー、スー。
 ……呼吸してる。やっぱりこれ、中に人間が入ってるんだ……。
 っていうことは、中にいるのは千尋か?
「おい、千尋?」
 チョコ人間に呼びかけてみるが、聞こえているのかどうなのか、うんともすんとも言わない。頭の辺りをこつこつと叩いてみても、やはり反応は無い。そもそも、がちがちに固まっていてリアクションの取りようがないのかもしれない。
 ちょっと片方の鼻の穴に指を突っ込んでみる。すると、もう片方の穴から強く息が吐き出されるのが分かった。しかもちょっと不自然に、3回フー、フー、フーと強く吐いてはしばらく収まり、また3回強く吐いては収まりを繰り返している。
 何かのメッセージを伝えようとしているのか?
 しかし何を伝えたいのか、俺にはよく分からない。それで調子に乗って、もう片方の穴にも突っ込んでみた。
 しばらくは何の反応もなかったが、やがて中から猛烈に息を吐き出そうとしているのが感じられた。少しは指の隙間から漏れ出ているので大丈夫かとも思ったけど、だんだん圧力が増してきたのでほどほどにして指を離してやった。するとまあチョコ人間、ものすごい勢いで呼吸している。さすがに今のは悪かったかもしれない。すまん。



 しかし、このチョコレート人間、一体どうしたものか。不気味に呼吸するチョコの塊を前に、俺の思考は少し止まった。
 とりあえず、食べてみようか。
 相手がチョコレートである以上、食べるしかないだろう。
 これで中にいるのが千尋じゃなかったらどうしようかと一瞬思ったが、意を決して、俺はキスをするように、一番食べやすそうな鼻の頭のあたりをちょろっと舐める。
 すると、さっきまでのカチカチに硬かった状態が嘘のように口の中でとろけ、口の中一杯にチョコレートのフレーバーが広がった。
 ……あ、甘い。
 いやまあ、甘いものは嫌いじゃないし、チョコだって普通のやつなら問題なく食べられる。しかしこのチョコ、普通の甘さじゃない。濃厚で深いコクがありミルキーで、褒め言葉しか頭の中からは湧いてこないんだけど、俺にとっては甘すぎる。そしてその甘さは、俺の頭を強烈に締め付けてくるのだ。
 俺はキッチンに駆け込み、水をがぶ飲みした。舌の上にはまだ妙に滑らかな感覚がまだ残っているが、あんまり飲みすぎると後で効いてくるような気がして、2杯目の水は注いだだけで残しておくことにした。
 ちらと部屋に眼をやる。そこにたたずむチョコの塊は、鼻の頭を濡らしたまま、淫らな表情で俺のキスを待っているように見える。そんな顔してこっちを見つめられても、ちょっと困る。

 中にいるの、本当に千尋なんだろうな?
 ともかく、口だ。口の周りだけでも片付けてしまえば喋れるようになるはずだから、千尋と意思の疎通ができる。中にいるのが千尋ならばの話だけど。
 俺はコップを手にして部屋に戻り、邪魔なハートのプレートを外すと,今度はそのチョコ人間の唇に口づけした。そのときの俺の感情は、愛情2割、根性8割。それは俺の人生の中で、もっとも甘いキスだった。
 ああ、くそ! ワイシャツの袖がチョコで汚れてやがる……。



 ん?
 執拗になめ続けた結果、ようやくトンネルが開通して、やわらかい口唇にまで到達した。そして穴が開くと同時に中からも舌が伸びてきて途中からディープキス状態になる。俺はそんな行為を行っているとはとても思えないほどロマンチックな気分に程遠いところにいたのだが、それでもチョコの味にはいい加減うんざりしてきていたところので、しばらくの間、むさぼるように唇を吸い続けた。

「ふう」
 俺はようやく一息つくと、チョコ人間から距離をとった。
「博人でしょ? 遅いよ!」
 チョコの中の人が発したこの声。やっぱり千尋だ。俺は心底ほっとした。
「千尋だろ? 聞こえるか?」
「あんたねぇ! 死ぬかと思ったよ!」
 ん? ああ、鼻の穴を塞いだことか。
「悪い、悪い」
「あたし今、全然動けないのよ。早く全部食べちゃってよ」
 全部? いくらなんでもそれは無理だ。
「あ、でも、今のキス良かった。世界で一番甘いキス、って感じ?」
 あ、俺と似たようなこと考えてるな。
「ねえ、もう一回……」
 千尋はそう言うと唇を突き出した。
「おい、千尋」
「早くぅ」
「おいってば! 聞こえないのか?」
「博人、聞いてる?」
「それはこっちの台詞だよ」
「博人!」
「千尋!」
 しかし俺の呼びかけなんて千尋は聞いてもくれない。っていうか、微妙に会話がかみ合っていない。ひょっとして、千尋には俺の言葉が聞こえていないのか?
「おい! 聞こえてるか?」
 夜遅くなのに、隣人に申し訳ないと思いつつも、大声で千尋に話しかける。それを受けて、千尋は少しの間黙っていた。
「何? なんか言った?」
「聞こえるか、って聞いたんだよ!」
「すっごい遠く聞こえる」
 やっぱり聞こえにくいのか。何しろ千尋の耳はチョコレートで分厚くコーティングされているのだ。
 
 仕方がない、今度は耳の穴を開けてやらなくてはならない。
「もう力ずくで剥がすぞ」
 俺はチョコを剥がすために、唯一肌が見えている千尋の口元から、皮膚とチョコの隙間に指をねじ込もうとする。
「あれ、くそっ……」
 しかし、とにかくチョコが硬い。硬い上に、チョコが皮膚に張り付いてしまって一向にはがれようとしない。
「ちょっと待って、痛い、痛いってば!」
 千尋が悲鳴をあげるので、俺は手を離す。
「あのさ、なんかこのチョコ、口じゃないと溶けないらしいのよ」
 は?
 俺はぽかんと口をあける。何だよ、そのめちゃくちゃな設定は。
「美恵子って、博人も知ってるでしょ? 彼女から仕入れたの。ハリウッド仕様の、すごい特殊なチョコなんだって。二人の愛が強くなるって……」
 美恵子ってのは千尋の学生時代の友人兼変人。ったく、余計なことをしてくれる。変人なのは勝手だけど、一般人を巻き込むなよ。
 で、つまり、あれか? このでかいチョコの塊を、全部なめ尽くせって言うのか?
 それを想像しただけで、俺は気の遠くなった。頭の中をクリスタルキングの「大都会」が流れる。寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ。

「……試すだけ試してみよう。ちょっと待ってて」
 口でしか溶けない等と言われても、そう簡単には信じられない。なにより、これを全部なめ尽くすなんて、俺は御免だ。
「熱いかも知れないけど、お湯たらしてみるぞ」
  俺はともかくヤカンでお湯を沸かし、沸騰したお湯をつま先のあたりのあまり怪我しなさそうなところにたらしてみる。
 だばだばだば。
 チョコレートの表面はつるりとお湯をはじき、すべてビニールシートに流れてしまった。
 そこで今度はタオルをお湯に浸して、温泉にでも入っているかのように、千尋の頭の上に乗せてみる。
「あー。なんかあったかーい」
 どうやら千尋にまで熱は伝わっているみたいだ。
 10分ほど待って、タオルをどかしてみる。指で表面をつついてみると、若干柔らかくなったような、そうでもないような……。本当に溶けないのかよ。
 俺はやる気なく千尋の頭にかぶりついてみる。すると、たちまち口中に広がる甘いチョコレートの香り。……俺の唾液は、どれだけすごい消化液なんだよ。
「やっぱり口でやらなきゃダメなのか……」
 今のままでは意志の疎通が大変だ。俺は千尋の聴覚を取り戻すために,千尋ををごろんと横にすると膝枕のような体勢にして、耳の辺りをなめ始めた。



「おーい、聞こえるか?」
「うん、ばっちり!」
 俺は口の周りをチョコまみれにしながら、どうにか千尋の耳の穴をこじ開けた。耳を甘噛みするとか、普段なら飛びつきそうないいイベントも一切なし。とにかく穴を開けること。それが第一義だ。
「次は眼のとこ、お願いね。何も見えないのつまんないよ」
 千尋はのんきに言うが、俺の方はもう限界だ。
「ちょっと待って。俺もう、チョコ食えねえ」 
「えー、そんなぁ。早く全部食べてよ」
 俺はハァと、大きくため息をつく。
 チョコが嫌いっていうわけじゃないし、千尋もどうにかしてやりたいけど、さすがにこれだけの量のチョコは食いきれるものじゃない。
「明日からちょっとずつ食べていくから、しばらくそのままでいろよ」
「えー、やだやだやだ!」
「俺、風呂入ってくるから」
「待ってってば!」
「自業自得、だろ」
「そんなー」
 すがる千尋に後ろ髪を引かれながらも、千尋が動けないのをいいことに、俺は風呂場へと向かった。

「やっと開放された……」
 服を脱ぎ捨て、シャワーで口元のチョコを洗い流しながら、俺はそう呟いた。
「あー、口の中が甘ったるい……」
 シャワーのお湯を口に含み、俺は何度も何度もうがいをした。
 しかし考えてみれば、明日からもまだ、チョコレートの呪縛は続くのだ。
「今日の分で、全体の何パーセントくらいなんだろうか……」
 口の周りと耳の周り。それと体表面の面積を考えると……。迂闊にも余計な計算をしてしまい、気分が重くなってしまう。



 風呂から上がると、俺は千尋にありあわせのもので食事を取らせ、歯を磨いてやった。なんつーか、まるでペットみたいだ。この程度の世話で済むのなら、それなりに面白いかもしれない。
「あの……、すごく申し訳ないんだけど……」
 そんなとき、千尋がやけに殊勝に言った。
「何?」
 俺は歯を磨きながら訊ねる。
「すごく嫌で嫌でしょうがないかもしれないんだけどさ……、その……」
「何だよ」
「トイレ行きたいのよ」
「!」
「それに関する部分だけ、なるべく早く処理してもらえないかな?」
 カラン。
 俺は持っていた歯磨き用のコップを取り落としてしまった。

 とりあえず、一箇所。トイレが済んでからもう一箇所。
 なめたよ、なめましたよ。
 しかしこっちの世話は、正直もう勘弁して欲しい。とは言っても当然、しばらくの間は勘弁してもらえないわけだけど。
 う。歯、磨き直しだ……。



「あー。やっと寝られる」
 ようやく全てが終わって、俺は伸びをしながらベッドにごろんと横になった。
「千尋、寒くない?」
「うん。大丈夫」
 千尋にせがまれたけど、また歯を磨き直さなくてはいけなくなるので、おやすみのキスはやめておいた。
 電気を消して、布団に包まる。まるで千尋がじっとこっちを見ているようで気になったしまったので、俺は千尋を置物のように部屋の隅に移動させ、向こうを向かせた。

 その夜は、ホワイトデーに、千尋にホワイトチョコで塗り固められてしまうという夢を見た。
 正夢でないとありがたいのが。

(おしまい)





 ちょいネタが無駄に膨らんじゃうと、まとめるのに苦労します。
 本当はこの人ネタをやりたかったんですけど、版権物はネタ出しするのが難しいっす。


ラベル:変装
posted by 三月うなぎ at 23:47| Comment(5) | TrackBack(0) | 変装一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
続きをみせて
Posted by XXXX at 2006年10月24日 16:55
これは季節モノの一発ネタみたいなものなので、続きはちょっと書けそうにありません。すみません。
来年の2月14日になにか書ければと思います。
Posted by 三月うなぎ at 2006年10月25日 01:13
博士がホワイトチョコに固められるまでの話を
教えてください。
Posted by たらこー at 2006年10月30日 19:57
 一糸まとわぬ体にチョコをまとって…バレンタインネタではある意味お約束のネタですが、今回は中々生々しいノリで。
 実際にまとう事だけでも難しいと言うのによくもまあ…前後の苦労を考えるとお二人ともお疲れ様の一言です。
 でも、これを乗り越えたら二人の中もより苦味をも混じった甘い関係に…なるといいですね。
Posted by カギヤッコ at 2006年10月31日 23:13
季節外れなのになぜこんなにコメントが!
しかし今改めて読み直してみると、無理があり過ぎる話ですなぁ。
上でも書いてますけど、続編は厳しそうです。すいません。
Posted by 三月うなぎ at 2006年10月31日 23:30
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