ある日の掃除時間。教室に学級委員の脇田珠美の声が響く。田村翔と野上一宏の二人が、掃除もそこそこにずっと喋り続けていたのだ。
田村はちらりと珠美を見やる。
「なんだよ」
「さっきからずっと喋ってばっかりで、全然掃除してないでしょ」
「やってるよ」
「やってない」
しばらくにらみ合う二人。
しかし珠美はクラスでも屈指のうるさ型だ。口先だけでは言いくるめもごまかしも聞くような相手ではない。田村はここで意地を張ってもあまり良いことがないと判断した。
「はいはい」
「わかったよ」
田村と野上はやる気なく返事をする。
珠美はその態度を不服に感じたが、こちらもあまりしつこく迫っても良いことはないと分かっている。
「ちゃんとやってよね」
それだけ言うと珠美は、くるりと振り返って掃き掃除に戻った。
田村はバケツの水に雑巾を浸し、ぎゅっと絞る。一応引き下がりはしたが、面白くないという気持ちはくすぶっている。
床を拭くためにしゃがみこむ田村。そのときに偉そうにしている珠美の背中がちらりと見えたことで、田村のスイッチが入った。
「あー。手が滑ったー」
そう言うと、田村は雑巾を広げ、すっと放り投げた。
ぺと。
「ひゃあ!」
ゆっくりと宙を舞った雑巾は、そのまま見事に珠美の頭に落下した。
「あー、わりぃわりぃ」
悪びれもせずにそう言うと、田村は珠美の頭から雑巾を取る。
田村はもう気分も晴れて、掃除でもなんでもやってやるという気になっていたが、珠美はそうは行かない。一瞬自分の身に何が起こったのか認識できずにいたが、事態が飲み込めてくるに従い、沸々と怒りの炎が燃え上がっていった。珠美はゆっくりと振り向き田村に向き直ると、手にした箒をぎゅっと握りなおす。
「あんたねぇ!」
珠美は一足飛びに田村との間合いを詰めた。そして、手にした箒を上段から思い切り振り下ろす。手加減なしの本気の一撃だ。
飛び掛ってくる珠美に気がついた田村の背中に、瞬間、冷たいものが走る。
ガツン。
田村はとっさに横に飛びすさり、すんでのところで箒をかわすことができた。
目標をそれた箒は柱を強打し、そのまま先端部分がすっぽりと抜けてしまった。箒の先端は天井にある蛍光灯をかすめ、床に置いてあったバケツに飛び込んであたりに水しぶきを散らす。
「あ!」
珠美は短慮を起こしてしまった自分に恥じ入り、我に帰る。
「あーあ。珠美が箒壊したー」
しかしそれも一瞬のこと。田村の一言で、珠美の闘志に再び火がついた。
「あんたが悪いんでしょ!」
先端の取れた箒を手にして、再び田村に殴りかかった。先端の取れた箒は、さっきとは比較にならないほどのスピードで田村を襲う。
「やめなさい!」
しかしその箒を振るう珠美の腕を、後ろから制止する者がいた。担任の高松美恵子だ。今度こそ珠美は完全に素に戻った。
「何やってるの!」
「……すみません」
高松に叱責された多摩美は、手にした箒の柄を後ろに隠しながら素直に謝る。
「どうしたの、一体」
「田村君が……」
「珠美が……」
同時に発言する田村と珠美。
「あんたが……」
「お前が……」
「ストップ!」
二人の不毛なやり取りを高松が止める。
「で、実際はどうなの?」
このままでは埒が明かないので、高松は近くにいた鈴木に尋ねる。
「ええと……」
突然話を振られた鈴木は、田村と珠美の視線を意識しながらも、かくかくしかじかと正直に話す。
鈴木から大体の事情を聞いた高松は、2人を睨みつける。
「事情はわかりました。鈴木君の話に何か付け加えることはある?」
「「ありません」」
「じゃあ、二人とも、一緒に来てちょうだい」
「「……はい」」
「みんなは掃除を続けていてね」
他の児童にそう指示すると、高松は二人を連れて自室へと戻っていった。
「えー、さっきの掃除中に、田村君がふざけていて、それを注意した脇田さんが箒を折ってしまいました。元々は田村君がふざけていたのが悪いです。ですが、だからと言って脇田さんも箒を振り回すのはやりすぎです。ここは喧嘩両成敗ということで、修理が済むまで田村君と脇田さんには箒の代わりをしてもらいます」
午後の授業が始まる前に、高松は教壇に立ってクラスに告げた。
「二人とも、午後の授業はその掃除用具置き場の前で立って聞いていなさい」
高松に言われ、教室の後ろの扉から、田村と珠美が入ってきた。
クラス中が教室の後ろの掃除用具置き場を振り返る。そこにいたのは、巨大な2本の箒だった。

「あんたのせいだからね!」
「お前が箒を壊したんだろ!」
全員の視線を浴びて二人は恥ずかしさのあまり赤面していたのだが、高松に施された特殊メイクに阻まれてその様子は伺えない。
「ほら、箒さん! 授業中に喋らないの! みんなも、授業始めるわよ。えーと前回は……」
高松はまるで何事もなかったかのように、教科書を開いた。
(おしまい)
ラベル:特殊メイク
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