2006年03月06日

うお座娘

 日曜日の昼下がり、俺は海岸沿いの国道をバイクでひたすら疾走していた。忙しい仕事の合間をぬって久しぶりに取れたせっかくの休日だから今日は一日ごろ寝して過ごすつもりだったのだが、3月にしては暖かい穏やかな日差しに射られていたら、家にいることに対してとてつもない罪悪感を感じてしまったのだ。
 夏場は海水浴客でにぎわうこの街も、今の季節には荒れる日本海から冷たい風が吹くのみだ。少し休憩するために、俺は軽トラが一台停まっているのみの広々とした駐車場にバイクを停める。自販機でコーヒーを買うと、鉄パイプでできた柵に肘をのせ、ごくりと一口、コーヒーを飲み込む。
 広く海岸を眺めると、シーズンオフだとしても遊びに来る人間はいるのか、そこかしこにゴミが散乱している。『海をきれいに』なんて大層なことを言うつもりもないが、そんな光景を見ると単純に悲しくなる。ゴミを持ち帰るくらい大したことでもないのに、何故その程度のことができないのか。

 最後のコーヒーを口に流し込んだところで、俺はまた出発することにした。柵から離れ、ゴミ箱を探してきょろきょろしていたときに、ふと海岸から楽しそうな子供の歓声が聞こえてきた。



 俺は声のした方向に目をやる。
 地元の子だろうか、何人かの子供がなにやら遊んでいるようだ。その様子をしばらく眺めた後、俺はじきに立去ろうとしたのだが、やいのやいの言っている子供のわめき声に混じって、鋭い、女の子の悲鳴が聞こえて、ふと足を止めた。
 再び子供の一群に目を戻す。5人の男の子が輪を作り、そしてその輪の中央に、女の子だろうか、長い髪が砂の上に広がっている。さっきの悲鳴はその子が上げたものだろうか。
 子供同士のことに大人が首を突っ込むのもためらわれたが、目を凝らすと、その女の子を蹴ったり棒でつついたりしている。いたずらというにはちょっと度が過ぎているようだ。
 まったく、ゴミを捨てる連中といい、いじめをする連中といい、何故その程度のことを抑えることができないのか。しかも、よりによって俺の目に触れるところで。正義の味方なんて気取るつもりはないが、あたりには他に人影もなく、黙って見過ごすこともできない。俺は空き缶をゴミ箱に向かって放り投げると、その群れに向かって歩き出す。

 俺が近づいて行くと、子供達は俺を見て動きを止める。
「おい」
 一声かけると、連中は互いになにやら一言二言交わした後、ぶつくさ呟きながらどこかへと駆けていった。逆切れされたらどうしようかと思っていたが、あっさり退散してくれたので少しほっとした。
 しかし、後に残された女の子を見て、俺は息をのんだ。その子は首から下を砂の中に埋められていたのだ。
「おい、きみ」
 顔を覗き込むと、その子は恥ずかしそうに目をそらしたが、その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになってしまっていた。
「今出してやるから」
 俺は手袋をはずすと、周りの砂をどけていく。砂は思ったよりも柔らかかったが、冷たく湿っていたので作業を続けるのがつらい。何度か手伝ってくれそうな人を求めてあたりを見回したのだが、あいにく人っ子ひとり見当たらない。さっきの子供達にでも手伝わせるべきだっただろうか。
 胸のあたりまで掘り進めたところで、この子が何も服を着ていないことに気がついた。少なくとも上半身は裸だ。砂に埋めるというのもそもそもひどい話なのだが、これは下手をすれば命に関わるかもしれない。
「大丈夫? 寒くない?」
 心配になって俺は尋ねてみるが、少女からは意外にも、「大丈夫」という答えが返ってきた。そんなわけはない筈なのだが、何度尋ねても答えは同じだった。
 実際はどうあれ、ともかく早く助けることが先決だ。
「ちょっとごめんね。すぐに出してやるから」
 謝りながら、俺は年齢の割に大きな彼女の胸の周囲の砂をかき分けた。



「……ありがとうございました」
 俺はぽかんとした顔で、その子の言葉を聞いていた。
 かなり時間がかかったが、ようやくずるずると女の子の全身を引き上げることができた。予想通り、その子は一糸纏わぬ姿で埋めれらていた。しかし俺が言葉を失ったのはそんな理由ではない。その子の下半身は魚のような姿をしていたのだ。いわゆる、人魚というやつだ。
「あの……、申し訳ありませんが、海まで運んでいただけないでしょうか」
 ぽかんとしたまま言われたとおりに水辺まで運んでやると、彼女は身体を洗うように深く潜っていった。程なく海面から顔を出し、しばらく気持ち良さそうに泳いでいたのだが、俺のことを思い出したのか、また海岸に戻ってきた。
「本当にありがとうございました。満潮のときに陸に近づきすぎて、海に戻れなくなってしまっていたんです」
 ぽかんと、あくまでもぽかんと、俺は彼女の言葉を聞く。
「お礼をさせていただきたいので、どうぞ家までおいでください」
 そう言うと彼女は俺の手を取り、海の中に入っていこうとする。俺も思わず足を踏み出したが、2、3歩進んだところで我に帰った。ブーツの中に海水が入ってしまい、気持ち悪い。
「ちょっと待って! 海の中なんて行けないよ!」
「ああ、これは失礼しました。人間にはこの時期の海は冷たすぎますね」
 いや、冷たいとかそういう問題ではないのだが。
「これを飲んでください。海中でも過ごせるようになりますから」
 そう言うと、その子はどこからから白くて大きな玉を取り出すと、俺に手渡した。
「さあ、ひと飲みに」
 それはまるで、よくある自販機で買えるガムを思わせた。少しだが、うまそうにも見える。そんな油断もあったり、その子の勢いにも押されたりして、俺はついうっかり、何の気もなくその玉を飲み込んでしまった。

 果たして、これで本当に水中でも呼吸ができるようになるのか。何しろ人魚が持っていた代物だ。俺はしゃがみ込んで海面に顔を近づけてみるが、好奇心に恐怖心が勝り、踏ん切りはつかなかった。
「今のうちに服を脱いでください」
 そう言うとその子は俺のベルトに手を伸ばしてきた。俺はそれに抗おうとしたのだが、身体に、特に足に力が入らなくなってしまい、その場にしりもちをついてしまった。どうなっているんだ?
 急に、足の付け根がむずがゆくなった。痒みは耐えがたいほど強くなり、そこに手をやってかきむしるのだが、今度はその手がむず痒い。そうこうしているうちに、その痒さは全身にまで及んでしまった。しかし一番ひどいのはやはり足だ。足、俺の足。まったく、どうにかなってしまいそうだ。
「体の変化が始まります。早く服を」
 その子は俺のジャンバーを脱がすと、次にブーツと靴下を脱がせた。俺は自分の身体の方が気になって、服に関してはその子の為すがままになってしまった。
「早く服を脱いでください。とりあえずズボンを先に!」
 言われるままに、俺はベルトをはずし、ジーンズを脱ぎ始める。海水でぬれてしまっているので皮膚に張り付いて脱ぎにくいが、のた打ち回りながらも何とか足を引き抜いた。
「それも脱いでください」
 それとはパンツのことだ。女の子の前で股間をあらわにするのはためらわれたが、今はそんなことを言っている場合でもなさそうだ。とにかく言うなりになって、パンツを脱ぎ捨てた。
 あらわになった俺の太ももはぬめぬめとしていて、緑色に輝くウロコでびっしりと覆われていた。しかし、さっきまでは刺すような冷たさだった海水も、今はそれほど冷たくは感じられない。このウロコの効果なのだろうか。
 じっくりと見ていると、自分の足ながら気持ち悪い。しかしそんなことを思う暇もなく、更に変化は続いていった。今度は足の付け根から徐々に両足が融合を始めたのだ。
 今までは身体の変化に違和感ばかりを覚えていたのだが、今はむしろ正常な状態へと向かっている気がして、半ばやけになっていることもあり、身体の変化を受け入れるようになっていた。痒みも収まりかけている。身体がどうなってしまうにしろ、既に峠は越してしまったということなのだろう。俺は身体を楽にして、海岸に横たわった。



 ふう。
 ゆっくりと深呼吸をする。どうやら身体の変化は収まったようだ。
 俺の下半身は完全に魚のようになってしまった。まるで、隣で俺の変身を見守りつづけた女の子のように。海の中に入っていける薬というのは、こういうことだったのか。
「なあ、どうなってるんだ?」
 俺は女の子に向かって尋ねる。
 しかし尋ねてから、疑問がまたひとつ増えた。少女に向かって発した俺の声は、まるで女のように高くなっていたからだ。
「え、これ……」
 俺は口からこぼれた女性的な声にとまどいを覚える。しかしそんな俺の思いとは裏腹に、その子は顔をゆがめて、目に涙を浮かべながら、俺の胸へと飛び込んできた。
「お母さん……」
 お母さん?
 女の子を抱きながら、俺の胸が女性のようにふくよかに膨らんでいることに今更ながらに気がついた。その点も含めてまとめて問いただそうと思ったのだが、胸の中でわんわん泣かれてしまっては、俺としてもただ頭をなでて優しく抱きしめることしかできなかった。



「先ほどの玉は、実は母の遺骨なのです」
 ようやく泣き止んだ女の子の話は、また理解するのが大変な代物だった。
 娘が語ったところによると、人魚とは基本的には不死の存在であるが、不慮の事故で死亡するというケースもけして珍しいことではないという。しかしその場合でも、人魚の脊髄を削って他の生物に与えることで、精神構造まで引き受けることはできないが、生前の肉体を取り戻すことが可能なのだ。
 この子の母親は数年前、鮫に襲われて亡くなった。そしてそれ以来、母親となってくれる人物を求めて、しばしば人里近くまで泳いできていたのだそうだ。
「じゃあお母さん、家に帰ろ」
 女の子はさっきまでの丁寧な口調から一転して、母に甘える娘のようになってしまった。しかし俺だって、いきなり母親にされても困ってしまう。
「なあ、俺なんかが母親の代わりになっても仕方がないだろ。元の姿に戻してくれよ」
「元の姿に戻すのは、言い伝えによればできないわけでもないらしいんだけど、誰もやり方を知らないのよ」
 その言葉を聞いて、俺は絶望感に囚われた。それでも必死に懇願してみたが、娘はまともに取り合おうとはしてくれない。
「お母さんは私を助けてくれたじゃない。私、すごく嬉しかった。お母さんになってもらうのは、この人しかいないって思ったもん」
「でも、俺は男だぞ。母親になんてなれるわけがない」
「大丈夫よ。すぐに慣れるわ」
「でもどこまで行ったとしても、俺は本当の母親じゃあないんだぞ」
「いいのよ、別に。前のお母さんだって本当のお母さんじゃないし。あなたは私にとって、5人目のお母さんなの」
「5人目?」
 その言葉を聞いて、おれは気が遠くなった。人魚にとって精神が入れ替わることは、それほど大事でもないようなのだ。
「でも、でも……」
 なおも何かを言おうとしたのだが、人間とはまったく別の価値観で生きているこの娘を説得する言葉が、なかなか出てこない。
「心配しなくても大丈夫よ。私も以前は人間の男だったんだから。人魚の生活も、そう悪いもんじゃないわよ」
 ……なんということか。25歳独身にして、元男である人魚の娘の母親になってしまうとは。
「さ、家に帰りましょう。お母さんが迷子になるといけないから、しばっておくね」
 そう言うと娘は、さっさと自分の尾と俺の尾とを紐で結びつけてしまった。そして沖を目指して、ゆうゆうと泳ぎだした。
 俺はちらりと陸の方に目をやる。今のこの身体でバイクに乗るのは不可能だと思うと、無性に悲しくなった。その他にも、あれやこれやの人間としての楽しいことを思い浮かべようと思ったのだが、案外楽しい思い出が出てこず、そのことがまた悲しかった。
「早くー!」
 海面から娘が顔を出して手招きする。
 どうしたものかとまだまだ決心はつきかねていたのだが、人魚1年生として今は娘を頼りにするしかないのだ。何とか元の生活に戻る方法を見つけたいが、それにしても娘についていくしかない。
 俺は紐を手繰り寄せながら、なれない足つきで娘の後を追いかけ始めた。


pisces.jpg


(おしまい)


ラベル:変身 妖怪 TS
posted by 三月うなぎ at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 星座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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