2005年09月17日

銭湯の娘

「おい、敏子」
「なに、お父さん、お母さん」
「折り入って、お前に頼みがある」
「何よ、改まって」
「まあ、こっちに来て座りなさい」
 敏子は促されるままに、ちゃぶ台をはさんで両親の前に座る。
「母さん、例のものを」
「はい」
 母が箪笥から、小さな箱を取り出してきた。
「これは先祖代々伝えられてきた秘薬だ。家に危機が訪れしとき、家の娘にこの秘薬を飲ませろと言われている」
「秘薬って……。なんなのよ、それ」
「それは分からない。だが、今こそ家の一大事なんだ。もう他に打つ手はない。頼む、敏子」
「そんなこと言われても」
 突然の展開に、敏子は戸惑っていた。

「お前も知っての通り、ウチの経営は、危機に瀕している」
「……うん」
 敏子の家は「杉の湯」という銭湯である。その創業は江戸時代にまでさかのぼる、由緒正しい銭湯だった。しかし、ここ数年は客足も遠のいている。
「これも時代の流れかとも思うが、ただ手をこまねいているのもご先祖様に申し訳がない。そこで敏子、お前に一肌脱いでもらいたい」
「?」
「頼む、敏子。この薬を飲んでくれ」
「わかったわよ。飲むわよ」
 敏子自身は銭湯を継ぐ気はないし、このままフェードアウトしていくのも仕方がないと思っている。しかし敏子にも、生まれ育ったこの銭湯に愛着はある。

「本当にいいのか?」
「嫌だけど、しょうがないじゃない」
「敏子……。すまん、わしが不甲斐ないばっかりに、お前に迷惑をかけて……」
「いいから、貸して、それ」
 敏子は巨大な丸薬をつまみあげる。くんくんと臭いをかいで見ると、少し刺激臭がする。
「えいっ」
 敏子は思い切って、丸薬を口中へと放り込んだ。
「ごくっ」
 母親が差し出した水を一気に飲み干す。不安そうに覗き込む両親。

「……どうだ? なんともないか?」
「うん。別になんとも……。っ!!」
 急に敏子が苦しみ始めた。最初は痛みが腹に現れた。そしてその痛みは、しだいに全身へと広がっていった。
「どうした? 大丈夫か?」
「……んんんんっ! あぁ……。はぁ、はぁ……」
 全身にびっしりと脂汗が浮かぶ。手足の感覚が、徐々になくなっていった。呼吸が荒くなり、舌もだらんとだらしなく垂れ下がる。
「母さん、救急車だ。救急車を呼べ!」
「はい!」
「敏子! しっかりしろ、敏子!」
 しかしそうしている間にも、敏子の顔色はどんどん土気色になっていく。
 全身をさいなむ苦痛の中、敏子の意識も徐々に薄れていく。
(あたし、どうなっちゃうんだろう……)





 病院のベッドの上で、敏子はぼんやりと、医師と両親の会話を聞いていた。その内容は、とても自分のこととは思えないほど、突拍子もないものだった。

「これは、あかなめですね」
「あかなめ?」
「ええ、妖怪の。ご存知ありませんか?」
「そりゃ風呂屋ですから、あかなめくらい知ってますけどね」
「現代の医学では、お嬢さんを元に戻すことはできません」
「そんな、娘はこれからどうなるんですか」
「まあ、命に別状はありませんから、ご安心ください」

(あたし、人間じゃなくなっちゃったんだ)
 敏子は冷静に、医師の言葉を聞いていた。取り返しの付かないことをしてしまったという後悔の念はあるが、不思議と嫌悪感は感じない。
(それもこれも、妖怪になっちゃったからなのかな。考え方も変ってるのかもしれない)
 しかし、両親のショックは敏子とは比べ物にならないほど大きいものだった。

「おほうふぁん」
 敏子が父に声をかける。長く伸びた舌のせいで、まだうまく喋ることができない。
「敏子……。すまん!」
 ただただ頭を下げ続ける父に、敏子の方がむしろ申し訳ない気持ちになっていた。
「いあ、あふぁひがひめふぁふぉふぉふぁはら」
「敏子」
「あふぁひはひにひへはいはは、あふぁふぁ、あふぇへ」
「すまん」
「はいふぉーふ! はいふぉーふふぁふぁふぁ」
「すまん……」

 小さくなりながら部屋を出る父の背中を見つめる敏子。
(お父さん、無理もないけど、相当気にしてるなぁ。こりゃ、あたし本気で幸せにならないと、お父さん救われないわ)





「敏子、どう、調子は」
「まー、別に変わんないよ」
 病院に見舞いにきてくれた友人の奈々美に、敏子は元気そうに返事をする。それは敏子の偽らざる気持ちだった。身体は変わってしまったけれど、まるで違和感は覚えない。舌を出しながらの喋りにも、だいぶなれてきた。
「良かった。思ったより元気そうで」
「うん。」
「……敏子……」
「何?」
「あ、いや、なんでもない……」
「何よ。大丈夫だから言ってよ」
「あのさ、あかなめになっちゃうなんて、やっぱりショックだったんじゃないかなって……」
「まあね。でもさ、身体の色が変わったのと、舌が伸びたのくらいで、別にどうってことないもんだよ」
「ホントに本気でそう思ってるの?」
「うん。ホントにそう思ってるのも確かなんだけど、お父さんの方が元気なくしちゃっててさ。あたしが元気になんないとお父さんも元気にならないと思うんだよね」
「敏子……」
 この子、強いな……。
「わかった。私も前みたいに普通に敏子に接するから」
「うん。ありがと」
「学校にはいつ頃来られるようになるの?」
「週末には退院できるみたいだから、来週には学校に行くよ」
「そう。待ってるわね」





 それで敏子がどうなったかといえば、結局それまでとまったく変わりなく、あかなめとして中学校へ通学している。驚くほど今までどおりに、日常生活は進んでいた。
 そして毎日、銭湯の垢をなめるのが日課になっているのだった。
 若干だが、客の数も増えたようだ。あかなめの効果かどうかは、わからない。



akaname.jpg


(おしまい)


ラベル:変身 妖怪
posted by 三月うなぎ at 19:11| Comment(1) | TrackBack(0) | 妖怪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あかなめ自体を知らないのですが、そんな娘が友達にいたら確実に襲ってますね。
自分の境遇をものともせず元気に振る舞う(ように見える)とこが実に良い。彼女にして毎日俺のこん棒を舐めまわして…ん?自分で舐めるのか?俺があかなめ?まぁ女になれるならd(-_-)
Posted by 虚無感 at 2007年06月03日 07:51
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。